こだわりの写真機


―究極の理想的写真機を求めて―


 終戦の年にとてつもなく辺ぴな田舎に生まれた私にとって、写真機は夢を運ぶあこがれの機材であった。お金もなければ物もない時代。写真機を手に入れることなど夢のまた夢であった。あれから何十年と経った現在、その夢を実現させたくなった。

 私が所有する写真機の大半は、最新式の便利なものとはほど遠い、機械式手動写真機である。すなわち、夢を見ていた子供の頃に胸をときめかしたメカのかたまり、あるいはそれ以前の写真機である。それらは、今では数式や文字列や液晶を使って電子的に処理していることとそっくり同じことを歯車や棒、ばね、鏡などで機械的に処理している。「可能性」という「夢」をとことんまで追求した名機。これは見事と言う他はない。私を少年に戻してくれる最高のおもちゃだ。

 私は今、過去の写真機を使って理想的な写真機を追求している。所有する写真機の数は増える一方だが、コレクションが目的ではない。理想を追求しているうちに結果的に増えてしまっただけだ。手を加えたためにオリジナリティが失われてしまっているものも結構ある。

 みすぼらしくなってしまった名機を新品同様に仕立て上げる、あるいは気に入るように外見を変える。これもまた楽しみの一つだ。